その『一手間』は誰のため?

No.74

 

こんにちは・ののです^^

今日はお天道さまが出ているうちに書くぞー!!!
悪しき習慣打破!!!

 

さて、今日は『その一手間は誰のため?』と言うテーマ。

 

私のブログの中には『一手間ポイント』がよく登場します。
これを書いていると、『マメだね』とか『すごい丁寧だね』などと声をかけていただくことが多い。それはそれでとってもありがたい◯ありがとうございます^^

しかし、私がいつも小さな一手間をおすすめしているのは、ただごはんが美味しくなるからだけではなく、理由があるんです。

 

料理は暮らしの所作である。

 

以前どこかでぽろっと書いた言葉。

『料理は暮らしの所作』

 

私は普段料理を仕事としてやっていますが、本来料理は暮らしの中に溶け込んでいるものの一つだと思うんです。特別なことではなく、歯を磨くように、服を着替えるように、料理をする。一日のうちに欠かすことができない、暮らしの一部。

今は、ライフスタイル的に料理をする時間を委託する(外食する)方も多いですが、どんな形でも、食を暮らしからひっぺがすことはそうそうないことなのではないでしょうか。

暮らしに溶け込んでいて、かつ、必ず行うこと。

私は常々、料理を特別視する思考をゆるりと解いていきたいと思っています。
特別なことって、ある意味楽しいけど、疲れているときはけ嫌いしてしまう、そんな存在になってしまう。

可も不可もない、そんな存在までに落とし込んでしまえば、その所作(料理をする)本来の『味わい深さ』が見えてくるような気がして。

 

そんな、毎日行う暮らしの所作に一手間をなぜ加えるのか。

 

理由はシンプルです。

『ここ』に意識を置くためです。

 

ちょっと矛盾して聞こえるかもしれないですが、
無味無臭のことに対して、一呼吸置いて対面する。
すると、そこに残るのは『自分』なのです。

表現が難しいですかね◎

 

つまり、一手間という丁寧さは、今をいきている自分に対する愛情表現であり、肯定意識を形にすることなんだと思っています。

 

もっと簡潔に言えば、その一手間は『自分を愛している』という行動そのもになる。

 

私は、今を生きている自分のために料理をしているし、自分に対しての愛情表現として日々キッチンい立っています。。それを愛する人たちに配っている。私がこの愛情表現を仕事にしているのはこんな形があるからなのです。えへ。

 

とっても凹むことがあったり、
心がモヤモヤしていたり、
そんな日でも、毎日キッチンに立ちます。

『こんな気持ちで料理なんかしたくない』と思う日でも。

 

『生きる』と『食べる』は同じお皿なのです。

 

ですがそこに、一手間加えることで、
一呼吸置ける。

すると、ゆっくりゆっくり
心が澄んでくる。

私はそんな感覚で料理に関わっています。

 

ま、荒れ狂う日ももちろんありますけどね◎

 

日々、とっちらかっている心を今に引き戻すため、一手間を加えながら料理をすることは私にとってとても大切なことなんだと思います。

 

だーっと書いたので、このブログ自体がとっちらかっていますが、
なんとなく伝わればうれしいな*

みなさんのアンテナの高さを信じています◎笑

 

ご縁に感謝*